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お知らせ

訃報"sad news"
 
My friend  Okamoto died early in the morning on June 25th, 2019. 
He was 70 years old.  
fight with cancer. Takahiro Okamoto was a longtime client of the Hajime-Factory 
I ’m sorry for your loss. R.I.P. Takahiro Okamoto.

F3Aフライヤーとしても活躍されてきた兵庫県宝塚市の岡本 孝博さんが令和元年6月25日未明に病院で静かに亡くられました。享年70歳でした。


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また、葬儀はご本人の意志によりすでに近親者のみで家族葬にて葬送されております。

ご家族様より生前の故岡本孝博様に対して、お付き合い頂きました、みなさまのご厚情を賜り深謝いたしますとのこと、みなさまにお伝えいただきたいとのことでしたので、ここにあわせてご報告申しあげます。

今日、8月11日にBlogにて書かせて頂きましたのは本日の四十九日法要までは静かに見送りたいという思いでした。
岡本さんの奥様と、お話をさせて頂きBlogにて訃報のお知らせをさせて頂きます。

また、このBlog記事はHAJIME-FACTORYの最初のファンとして応援者であった岡本孝博さんの追悼の為に書きます。

岡本さんは最初のHAJIME FAN TEAMの親衛隊長でした。

当時、HAJIME-FACTORYは、この日本の業界では全くの無名でした。
その無名なHAJIME-FACTORYが創り出すスケールヘリに惚れてご依頼がありました。

写真は引き渡しとテストフライトの為に行った岡本さんのホームグランドである宝塚の河川敷。

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最初に依頼があったEC-145の側で「いい!」「素晴らしい!」と言いながら、ずっと眺めておられました。

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もちろん、ご本人も飛ばされました。
岡本さんはF3Aの世界で選手として活躍されてましたのでヘリコプターを飛ばされるのは緊張してましたが、全く不安感なく素晴らしいホバリングをされました。


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そして、完成したばかりのEC-145を大切に車に乗せ帰られました。

岡本さんとの出会いは、この時の2013年3月です。

この日から岡本さんとのお付き合いが始まりました。

大阪から今の兵庫県加古川市へ工房を移転した2013年5月に駆けつけて下さいました。
この時の工房は今とは違い殆ど何も無い状態です。

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2013年9月
この時、岡本さんが熱望されたFullCustomのAH-1W SuperCobra(Viperマフラー仕様)が完成し引き取りに来られました。

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EC-145を引き渡した時から6ヶ月後にAH-1Wの引き渡しです。

このAH-1WはEC-145を引き渡して数日後に依頼がありました。

EC-145を実際に手元で見られ自身の手で飛ばされたその日にメールが届き「制作依頼したヘリがあるので打ち合わせをしたい」というメールでした。

それが、FullCustom Scale Heli AH-1Wです。

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岡本さんが熱望し拘ったAH-1W SuperCobra

打ち合わせ後にメッセージが届き
「眺めてよし、浮かべてよし、磨いてよしの3拍子でよろしく!」でした。

岡本さんらしいメッセージです。

AH-1W SuperCobraのFullCustomとしは初のViperマフラー仕様

このViperマフラー仕様が岡本さんの夢と希望です。

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ボディの一部もグラスファイバーでワンオフ制作です。

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そして、完成したAH-1W SuperCobra

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念願だったAH-1W SuperCobraを手に取り記念撮影する岡本さん
「撮影するよ」と言うと皆さん真剣な顔になりますね。

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その後も大切にして頂き、1年に一度は対空検査で持ってこられてました。

そして、年に一度の対空検査で引き取りに来る2018/02/28日の二日前に

岡本さんから一通のメッセージが届きました。

「28日に精密検査で医者に行きます。また行く日を連絡します。よろしく!」

26日のこの日に「重い病気の可能性がある事をお聞きしました。」

そして、28日に電話があり

「今から行くわ」

到着後、検査結果の詳細をお聞きしました。

重い病気でした。

重い病気を告知されたのに、いつも変わらない笑顔の岡本さんがいました。

写真は引き取りに来られた時の写真ですが普段の岡本さんと全く変わりません。


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病気を告知された人とは思えない、いつも変わらない岡本さん

いつも気にかけて頂き、HAJIME-FACTORYの大ファンの1人であり

HAJIME-FACTORYの親衛隊のような方でした。


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この日も対空検査が終わったEC-145とAH-1Wを大事に車に積み帰られました。

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その後も

「飯も美味いし食欲もあるから大丈夫や」

「これから練習に行ってくるわ」

など、いつも電話があり

私の誕生日には

「お誕生日おめでとうございます。私は、何時も元気です。」

とメッセージが届きす。

その岡本さんと最後にお会いしたのが

2019年06月11日に自宅へ顔を出しに行きました。

足が腫れて痺れがあり歩きにくそうですが喋りは、いつもの岡本さんと変わりません。

ラジコン業界の話しやスケールヘリの話や所属クラブの話、HAJIME-FACTORYについての話や病気の話など3時間ほど様々な話をしました。

私が3割で残りの7割は岡本さんが喋ってました。

話の途中に「そんなに話をして疲れないですか?」と聞くと

「だいたい喋りやもん」「全然、しんどく無いわ」「飯も美味いし」

この時の会話を聞いて安心しました。

私から「どうのこうの言っても、まだまだ長生きしますよ」と言うと
岡本さんも「するやろ!ゆっとても自分でも、そう思っとる」
と元気な言葉を聞いて、「また近々来ますよ」「楽しみしとるで」と交わし、この日は帰りました。

それから約2週間後の6月23日に電話で話をした時に

「足が腫れて歩けへんわ!明日、病院に行くけど車椅子になるかもな~」

と・・・少しシンドそうな感じの声で

「また、電話してや!H君と話してると楽しいからな」

私から「来週はしんどいでしょうから再来週いきますね」

「おう!楽しみにしてるわ」

この日が岡本さんとの最後の会話でした。

岡本さんは翌日の24日に病院へ行きました。

そして、そのまま病院を出る事無く25日未明に静かに息を引き取られました。

享年70歳でした。

苦しむ事も無く静かに亡くなったそうです。

岡本さんが良く言ってくれていた言葉があります。
最後に、お会いした時も言ってくれました。

それは

「HAJIME-FACTORYはフェラーリ―を自分の好みのように作ってくれる工房や」

「椅子の糸の色までも希望を聞いてくれる」

「今までスケールヘリを作ると言えばボディに機体を乗せるだけ、ボディに色を塗るだけのお店があっても客の希望をとことんまで聞いて、それ以上のヘリに仕上げてくれるのはH君とこだけやで」

「技術がある制作工房は作るだけやけど、HAJIMEは作るのも飛ばすのも最高!そんな工房は他には無いで」

「H君の人柄とY君の技術が重なった最高の制作工房や!そこに惚れとる」

そして

「HAJIME-FACTORYが制作したヘリを持つことが多くのスケールファンの誇りと違うか?オレもその一人やで」

またAH-1Wを見て良く言ってたのは
「これはな、チーフが一生懸命作ってくれたんや、一粒一粒リベット貼って、一生懸命削って一日ゴシゴシしてホンマようやってくれたわ」
といつも言ってくださいました。

本当に

本当に

ありがとうございます。

その言葉を大切にしていきます。

そして、今まで

本当に

ありがとうございました。

これからも私たちやHAJIME-FACTORYは

いつまでも変わらない空間そして私たちでいますので

安心して下さいね。

岡本さん 安らかにお休みください
ご冥福を心からお祈ります。


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訃報をお伝えするのは本当に辛いです・・・

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